日本書紀に登場する代表的な女性リーダーの1人、
神功(じんぐう)皇后。
第14代・仲哀天皇の皇后だった。
しかし、九州のクマソ征討の最中、天皇は急に崩御(ほうぎょ)された。
日本書紀には、自らクマソを討とうとされ、敵の矢に当たって
亡くなられた、との一説も載せている。もしこれが事実なら空前絶後の出来事。
その後、神功皇后は神託を重んじて、クマソを背後から
支援していると見られた、朝鮮半島の新羅(しらぎ)征伐を
決意される。
その時の皇后のご発言はおよそ以下のようだったという。「戦役を起こして軍兵を動かすのは、国家の一大事である。
もしそれが失敗に終われば、罪は重臣にあることになる。
しかし、それは深く心が痛む。
だから、私は女性であり、至らない身ではあるが、雄大な計画を
自ら決断しよう。
神のお力を戴き、重臣らの助けによって、かの国を攻めよう。
もし事が成功すれば、それは重臣ら皆に功績があったからだ。
失敗したら、私一人の罪だ」と。まことに潔く、天晴れな勇断ぶりと言わねばならない。
これが正確な史実がどうか。
勿論、その真偽は保証の限りではない。
しかし、古代の日本人にとって、女性リーダーたる神功皇后なら、
かかる場面において、必ずやこうしたご発言をされるに違いない、
と信じられていた。
そちらの事実は疑えないだろう。
少なくとも古代の日本は、決して“男尊女卑”の国柄ではなかった。【高森明勅公式サイト】
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